日本が侵略戦争をした証拠!?「田中上奏文」
メディアリテラシーを高める必須教養「世界を動かした『偽書』の歴史」
■ 上奏文の通りに推移する満州事変
状況が変わったのは、田中義一の死後、一九三一年九月に満州事変が勃発してからだった。「上奏文」に書かれていることが実行されたのだ。つまり日本政府と日本軍が「田中上奏文」をシナリオにしているかのように見えてしまった。
これにより、「上奏文」は本物だったという印象が強まり、ジュネーブでの国際連盟の理事会でも問題になった。
一九四一年に日本とアメリカの戦争が始まると、日本が一九二七年から侵略を企てていた証拠の文書だとして、「田中上奏文」の英語版が盛んに出版されるようになっていく。時には、「日本版『我が闘争』」とまで言われた。
一九四五年の日本敗戦後の極東国際軍事裁判では、「田中上奏文」は日本に侵略の意図があった証拠となるので、検事側が日本語の原文を探したが、ついに見つからなかった。
もともとなかったのか、処分されたのか、そのあたりは分からない。
結局、「田中上奏文」は証拠採用されなかったので、その意味では日本政府の「偽書」だという主張が認められたことになるが、日本語の原文が出てこない以上、裁判での証拠採用は難しかっただろう。
田中義一首相が本当に天皇に上奏したのかどうかはともかく、「上奏文」に書かれたことの多くを実際に日本が行なったのはたしかだった。